copyright(c)by k.someya 2000-2006 private homepage hobby & business
SOMEYA FACTORY
このサイトの無断転載、複製を禁じます

{
HOME 仕事の部屋 旅行の部屋 カメラの部屋 模型の部屋
 そめちゃんのSCOOP日記
トリノ五輪取材日記

2006年2月24日(金)
トリノに着いたぞ

 今週は地獄のような忙しさだった。ただでさえ28日までしかない2月なのに、24日からギリギリでトリノ五輪の最後の3日間という取材が実現したので、3月号の原稿28ページを耳を揃えて23日に印刷屋さんに放り込むというハードな仕事に追われていた。何とか入稿も終わり、無事、成田空港からJALのミラノ行きに乗る事ができた。機内は、想像どおりガラガラ、簡単に一人一列確保できる。こうなったら、エコノミークラスは天国である。
 映画で『男たちの大和』をやっていた。内容は、想像どおりの日本映画の定石のお涙映画、まあ、日本映画の限界はこんなもんだろう。
 飛行機の中で威力を発揮したのが、ソニーのノイズキャンセラー・ヘッドフォーン。イヤホーン部分に小型のマイクが付いていて、逆位相をかけてノイズを消去する。理屈ではわかるが、実際に使ってみるとその効果は絶大で、飛行機のゴーというノイズが殆ど消えてしまう。アカすり、入浴剤と並ぶ海外出張の三種の神器になりそうだ。一度使ったら、手放せない。客室乗務員の声も、殆ど聞こえないのは困るが…。
 さて、B寝台気分であっと言う間に、ミラノ空港へ、ここからは飛行機が取れなかったので、陸路トリノに向かう。20時過ぎにトリノに到着。テレビでは、フィギアのエキジビションをやっていた。もう少し早く着ければ見られたのに残念。
 ホテルの、松下ツアーの受け付けにチェックインすると、防寒具を始めとした大量の観戦グッズセットをいただいた。どうやって持って帰れば良いのだろう。
 軽く一杯飲んでベットに入ったところに、ヒビノに移られたN常務から、地下のスイートルームで飲んでいるとの呼び出し電話。結局2時まで飲んでしまった。

2006年2月25日(土)
雪の大聖堂とIBCセンター
 朝起きたら雨が降っていた。トリノだから雪が降っていて欲しいがそれほど寒くない。IBC取材に先立ち、トリノ観光という事で、トリノの山の上に建つSupergaへ向かう。細い山道を登るに連れて雨は雪となり、景色も冬期五輪らしくなってくる。鉄道マニアとしては、車道から時々見えるラック式レールの登山電車の方がきになる。長上についたら、白銀の世界、本当は町のパノラマが見えるはずの展望台からは、雪景色の森しか見えない。大聖堂は、それはそれは素晴らしかった。
 昼食後、オリンピック放送を行っている、IBCセンターの取材に向かう。IBCセンター取材は、長野、シドニーに次いで3回目。こんな時期に取材が可能かと心配していたが、松下電器の根回しで簡単に手続きも終わり、荷物検査は成田空港より大甘で、IBCセンターの中に入る事ができた。いつもながら圧巻はズラッとモニターがならぶ配信センター。当然、液晶かと思ったら、センターのモニターがブラウン管なのには驚いた。液晶は冬期五輪のスポーツの動きについていけないからと説明された。今回はHD信号専用の配信設備も儲けられていた。IBCセンターでは、ほかにもBBC、フィンランド国営放送、ロシアテレビ、国営放送、スウェーデンテレビ、中南米テレビ連合など、様々な国の設備を見せていただく。日本はどうしったて…、わざわざイタリアまで行って見る事はないでしょう。海外で買ったお土産が、日本製だったらがっかりするでしょうから。
 さて、続いてフィアットやランチアの聖地であるトリノが誇る自動車博物館へ立ち寄る。展示の目玉はイタリアの誇る名車フェラーリ、F−1の歴史的な展示は圧巻、そして各種コンセプトカーの展示も面白かった。
夜、アイスホッケーの3位決定戦、ロシア対チェコを観戦。入口のセーフティチェックはIBCセンターよりはるかに厳しかった。試合は、チェコのディフェンスにロシアがことごとく阻まれるというもの。実力戦だけに、理屈抜きで面白かった。
2006年2月26日(日)
荒川静香とティアラと閉会式
 今日はホテルを8時50分に出発、トリノのランドマークであるPiazza Castelloへ向かう。大聖堂の巨大な空間を登るガラス張りのエレベータは最高のスリル。展望台からはトリノの街のパノラマが360度広がっている。
 取材のコーディネイトと通訳を担当していただいたアドゥアさんから、知り合いのコンソラータ伯爵夫人(写真右)が主催するティアラの贈呈式の誘いを受ける。トリノがあるピエモンテ州から最優秀の女性アスリートにティアラを送るが、その相手が荒川静香に決定したという。午後は、ショッピングのための時間だったので、こんなチャンスを逃す手はない。コンソラータ伯爵は、IBC放送センターがあるリンゴットセンターのトップで、フィアットのオリンピック事業の責任者の重責にある。日本で伯爵(元)といわれても、薩長の芋侍が相場だが、欧州の伯爵婦人はいかにも凜としている。ピエモンテ州の中のバレンサフォー市は、貴金属加工が盛んな地域で、今回のティアラの贈呈は、そのPRも兼ねているという。イベントの開始と共に日本のマスコミがぞろぞろ、写真を撮るための、退け退かないの下品な罵声が飛び交う。伯爵夫人の前で、日本の恥を晒している。ティアラの件は日本でも紹介されたと家内が言っていたが、ピエモンテ州の宝石産業をPRしたいという真意は、芸能記者もどきのミーハーなマスコミの取材からは、全く伝わらなかったようだ。6万ユーロがもったいない。
 さて、同じ日本人として情けない思いもあったが、至近で見た荒川静香はなかなか綺麗で、さすがトップの貫祿を感じた。
  夕食は、各種ピザでお腹を満たして、今回のハイライトの閉会式へ、入場料600ユーロ・約9万円、なかなか良い席で閉会式のテーマであるカーニバルを堪能できた。
 ホテルに戻ると、またまたN常務のお誘い、トリノの最後の夜も楽しく過ぎていった。
2006年2月27日(月)
Panasonicバックヤードとゲーリー氏
 トリノ五輪取材も今日が最後になってしまった。松下電器は、トリノ五輪の映像・音響システムとして、RAMSAプロオーディオシステムを、屋内外14会場に75音響システム、大型映像表示装置アストロビジョンを、16会場に29基納入しトリノ五輪をサポートした。特に、RAMSAプロオーディオシステムは、冬季オリンピックとして初めて開閉会式会場のスタディオ・オリンピコにメインスピーカーに平板アレイスピーカーWS−LAシリーズ(LA1/LA2等148台)が設置され、開会式・閉会式の音を奏でた。最後の、取材は、その映像・音響システムを支えたバックヤード。広大な倉庫には、アルペンやモーグル等の会場で使われたシステムが戻り点検を受けていた。万一に備えて、予備システムも用意されていたが、無事故で一度も使われなかったという。
 近くのホテルで、RAMSAシステムのコンサルタントとして、今回のオーディオシステムを成功させた、PRG社のゲーリー・ハーディスティ氏にインタビューした。同氏によると、今回のコンセプトはハイディフィニションなサウンドシステムの構築であり、スタジアムにいながら、自宅のリスニングルームで音楽を楽しんでいるような音響作りをした。これには、距離で音圧の変化が少ない平板アレイスピーカーが最適と考えるということだった。詳細は、放送ジャーナル誌4月号に掲載したい。
 取材も終わり、ホテルに戻ってトランクをピックアップし一路ミラノへ。今日の飛行機は選手団で満員、時間調整のためミラノ中央駅前のホテルにチェックイン。ミラノまでくればインターネットは大丈夫という期待が、見事に裏切られる。部屋に入りパソコンを立ち上げると、微弱ながらワイアレスが反応している。ラッキーなことに、セキュリティがかかっていない。ベランダにでたら、電波の強さが中になった。会社に送る原稿を一挙に書き上げ、ベランダから見知らぬ人のワイアレスに入り込み送信成功、良かった。
 夜7時、映像新聞のYさんとミラノ中央駅で待ち合わせ夕食へ。先日、ソニーマーケティングのH氏とY氏との酒の席で、ここの中華がおすすめと、地図上にアバウトに着けられた○印の所にいくと、何と中華料理店がちゃんとあった。酔っぱらっていても、情報は正確だった。ビールに紹興酒にとてもおいしいコース料理で45ユーロは安い。日本のガイドブックには載っていないが。

2006年2月28日(火)
最後の晩餐とトラム三昧
 午前中、追加の原稿を書いて送ろうとしたが、昨日のワイヤレスが見つからない。困った、どうしよう。どこかでインターネットカフェでも探そうかと、USBメモリーに原稿を入れてミラノ市内へ繰り出す。ミラノに来たら、レオナルドダビンチの最後の晩餐をみなければと、日本で11時半のグループを予約しておいた。地図で見ると2.5km位なので、初めての街だしブラブラと歩きだしたが、似たような建物ばかりで、見事に道に迷ってしまった。結局、タクシーをつかまえてお約束の15分前に到着。先着していた、アメリカの陽気なじいちゃん・ばあちゃん6人組と待っていると、時間ギリギリにやってきました日本人団体客ご一行、ズカズカと先頭に並んでしまいギャーギャー・ピーピー、米国のご老人一行の顔に見る見る不快感が、まだまだ日本のツアー客は恥ずかしい事を平気でやっている。
 さて、第一の目的の最後の晩餐も見たので、ついでにダビンチの科学博物館も覗いたが、期待が大きかっただけに一寸がっかり。それより、鉄ちゃんとして楽しいのは、ミラノはトラム天国である事。次から次へとあらゆるタイプのトラムが走ってくる。釣りかけ電車の次がダイレクト駆動の低床電車とみていてあきない。同じ線路を、走れるのは最初のインフラ設計がしっかりしていたため。何か、フィルムの世界を思い出す。ビデオだとこうは行かない。進歩するたびに、フォーマットが変わってしまう。夕方、ミラノ中央駅で、次々やってくる国際列車の写真を撮っていたら、いつのまにか警官がそばに来ていて、何か怒られているようだ。電車の写真を撮ってはいけないらしい。まあ、この時にはHDVもデジカメもたっぷり撮った後なので、ゴメンゴメンと誤って退散する。
 今日はイタリア最後の夜、またまた映像新聞のYさんと合流、寿司と天ぷらでの晩餐となった。菜の花のお浸しなど渋いメニューもある。明日は日本なのに、あと一日半が待てない。ワインより日本酒の方が好きな事がわかった。
2006年3月1日(木)
見つからなかった模型屋とドーモ屋上
 昨日は、街へ出たとたんに原稿を送る事を忘れてしまった。慌ただしくすぎたイタリア出張も今日が最後。とはいっても、JALの出発は20時45分なので時間はたっぷりある。荷造りを終え、チェックアウト前に、もう一度パソコンを立ち上げてみると、ワイアレスが反応、何とか原稿送信に成功した。チェックアウトを終え、荷物を預けて、ミラノの街へ。昨日調べた鉄道模型屋を目指し、ミラノ中央駅から3号線でドーモへ、ここで1号線に乗り換え、競馬場のあるロト駅へと向かった。さて、地上に出て競馬場はすぐに見つかったが、そこから模型屋に向かう道がわからない。何本も同じような道がある。近くにいたかっこいい婦人警官に道を聞きに行ったら、いきなり『ニイハオ』と言われた。そういえば、昨日はいったドーモ近くのバーでも゛ニイハオだったなあ。何とか教わったんだけど、その後も地図と実際の道が、シンクロしない。駅から10分を1時間ぐらい歩き回ったが、結局あきらめた。こんなに、方向音痴になったのは初めて、髪が薄れると共に磁化が薄れてきたのかも知れない。
 ミラノ最後の食事は、生ビールとボンゴレ。イタリア語のメニューを見て、最初に理解できたのがボンゴレだった。イメージどおりの料理で良かった。やはり、歩いた後はビールが美味しい。完全にワインは飽きてしまった。
続いてドーモを見学、ステンドグラスが素晴らしい。勢いでドーモの屋上にチャレンジ。セーフティチェックで警官に呼び止められる。何かと思ったら、松下電器からいただいたトリノ五輪のロゴ入りのジャンパーがいいなという。この寒さでジャンパーはあげられない。ドーモの屋上は素晴らしかった。この4ユーロはおすすめである。ホテルに戻り、タクシーでマルペンサ空港へ。ホテルの呼んでくれたタクシーは、ベンツの超高級車だが、どう見ても白タク、メーターもついていない。高速道路を200km/hで疾走、35分でついてしまった。約束どおり80ユーロで領収書ももらえた。
 さて、JALのカウンターは、3時間近く前にいったのに長蛇の列、飛行機は満員。何とか、アッパーデッキの窓際がとれたので、スペース的には楽だったけど。
 今日は3月1日、JALの機内販売で「森伊蔵」の解禁日、免税品販売でめでたく1本ゲットできた。正直嬉しい。ワインは当分飲みたくない。
 成田は混雑しており、旋回する事20分、16時50分、20分遅れで到着した。
 無事、税関も通り抜けロビーを宅急便カウンターに向けて歩いていたら、米国のパームスプリングスで開催されていたトムソンのメディアサミットに参加してもらっていた部下のH記者にばったり出会った。本当は1時間前の到着のはずがサンフランシスコの出発が遅れたという。成田エキスプレスで新宿まで、色々と打ち合わせもできて助かった。
BIRTV2006取材日記(06年8月)

NAB2006取材日記(06年4月

トリノオリンピック取材日記(06年2月)

IBC2005取材日記(05年9月)


BIRTV2005取材日記(05年8月)

トムソンプレスコンファレンス
パームスプリングス編(05年1月)


ロンドンのSFX工房取材日記(04年9月)

グラスバレープレスコンファレンス
サクラメント編(01年1月)





お気に入りデジカメSCOOP


ミラノのケーキ屋さん


イタリア人の考えたのチャイナチック


何と入れ歯の形をしたケーキです




おしゃれな八百屋さん



ミラノ中央駅の列車









ミラノのトラム各種









トリノ自動車博物館